立法権さえ分離すれば十分ではないのですか。
司法権を分離しなかったら、
どんな不都合があるのですか?
確かに、一人の権力者から立法権を奪い取れば、それで一安心です。
しかし、権力者はまだ「行政権」と「司法権」を持っています。
例えば、こんな場合どうなるでしょうか。
権力者が、法律ぎりぎりか違反することをおこなったとします。
そうすると当然、争いになるでしょう。「裁判だ!」ということになって、裁判所に持ち込まれます。訴えられたのは権力者です。
そして、裁判所に来てみたら、「裁判官は権力者」。
「もし、あなたが、その裁判の当事者で、しかも裁判官はあなただ」としたら、あなたはどんな裁判をするでしょうか。自分に都合のいい判決を下すでしょう。
野球で、「審判が投手側のチームの人」なのと同じです。ボールでも何でも「ストラ~イク!」です。
これじゃ、なんのためにルールがあるのかわかりません。
このように、
「権力者が法律を無視しても、
その無視したおこないを裁判するのが権力者なら、
法律はないのと同じ」
になってしまいます。
そこで、
「権力者から司法権を奪い取らないと、危険だ。
権力者の好き放題を許してしまう。
そうなれば、国民の人権は酷いことになる。
司法権を奪い取れ!」
となったわけです。
これで、権力者には「行政権」しか残らなくなりました。
現在、民主主義の国では、昔のような王様はいませんから、行政権も民主的な機関が持っています。しかし、その機関といえども、人間が動かすのです。その機関に立法権も行政権も司法権も持たせては、その機関を握っている人間は権力者と同じように全権力を動かせることになります。危険です。
やはり、
「立法権は法律を作ることを専門にする機関に、
行政権は行政を専門にする機関に、
司法権は裁判をすることを専門にする機関に
持たせる必要があるのです」
今までの話をまとめてみると、こうなります。
全権力を一人の権力者に持たせると好き放題権力を使うおそれがあり、
極めて危険。
そこで、全権力を「立法権」「行政権」「司法権」の3つに分け、
それぞれを別々の機関に受け持たせよう。
そうすることで権力者の(あるいは一つの機関の)暴走を防げる。
これを前提にして
「立法機関」「行政機関」「司法機関」相互の「抑制・均衡」
という問題に入っていくのです。
これについては、また後ほど お話します。